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森一敏
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 08.9月会派社民政務調査 
(2008年9月29日~10月1日)

大牟田市 トータルケアシステム株式会社大牟田工場「ラブフォレスト」
                  紙おむつのリサイクル事業
鹿児島市 鹿児島市立病院 公立病院の経営改善
水俣市  環境モデル都市施策

 2008年9月29日から10月1日に行いました私たち会派社民の九州政務調査をご報告しましょう。 会派代表の平田誠一市議、山本由起子市議そして私の三人会派ですから、機動性があり、9月議会中に話をまとめました。
 今回の視察では、コーディネータは山本由起子さんで、環境と公立病院問題をテーマに、大牟田市にある全国唯一の紙おむつリサイクルメーカートータルケアシステム株式会社の工場ラブフォーレスト、優良公立病院として表彰された鹿児島市立病院、そして、この7月に環境モデル都市の認定を受けた水俣市の環境政策を視察しました。受け入れてくださった関係者の皆さんに感謝致します。
 世間では、アメリカ下院が金融危機に対する証券会社救済法(75兆円の公的資金投入)の否決、大阪浪速区での個室ビデオ店放火15人犠牲が駆け回りました。九州地方に接近した台風は、昨日、一昨日と終日強い雨を降らせました。鹿児島県では、崖崩れ、家屋にも被害が出たようです。浅野川水害を思い起こし、被害の小さいことを祈りました。昨夜宿泊した湯の児温泉は、不知火海に面して夜通し雨音が絶えませんでした。
 1日には、水俣市役所を訪問しましたが、ご挨拶に出られた淵上副議長は、早朝から農水関係に被害が出ていないか地域を回ってこられたようでした。この時間には、もう台風一過の晴天に早変わりして、夕刻には予定通り小松便が飛んでくれました。台風に向かい、台風から逃げるように視察に出たのは初めてでした。
 
1.トータルケアシステム株式会社大牟田工場「ラブフォレスト」 
 視察先の最初は、本社が博多にあり、大牟田市のエコタウン(リサイクル関連産業の工業団地)に立地するトータルケアシステム株式会社の大牟田工場ラブフォーレストです。
 雨が降りしきるエコタウンに到着すると、代表取締役社長の長武志さんほか幹部の方々が、出迎えてくれました。挨拶も早々に、よどみなく長社長の説明が続きました。さすがに創業の起業家精神というか、感心させられるお話でした。

  「紙おむつの需要は、子ども用大人用あわせて年率10%の伸びが続いている。一方、環境問題や資源問題への意識が高まっている。そうすると、パルプの使用を押さえようと包み込み型だったおむつの形状がパット型になっていく。使わせる側は取り替えの回数を減らせるものを求めるようになる。排尿センサーつきのおむつまで考案される。こうなると、使う側の都合より使わせる側の都合で介護が行われるようになる。介護される人は、機械のようにされてしまう。
 これは過剰だ。介護とは何だったのかと思わざるを得ない。使う人が非人間化されないような仕組みをつくれないかと考えてきた。それが、使用済み紙おむつのリサイクルだった。紙おむつで汚れるのは、ポリマーの部分だけで、あとはほとんど汚れない針葉樹の長繊維でできた紙だ。これをリサイクルできないか。
 私は、尿を吸収するポリマーが溶けているのを見て、塩分がポリマーを分解するのではないかと考え、皿にポリマーを置いて塩をかける実験を繰り返した。プラントメーカーと提携し、一年以上溶解テストを重ねた。さらには産学協同研究を福岡大学工学部と提携して行い、ポリマーの分離材として塩ではなく、塩化カルシュウムを使うことを発見した。こうして使用済み紙おむつの水と塩化カルシュウムによる分解工程を開発することができた。」
紙おむつの分解過程でとれる良質のパルプ繊維はおむつ材料となります。不純物の混じったパルプ繊維は土壌改良材、崖地のり面の防護材に、プラスチック固形物は固形燃料として再利用されることになります。水処理に使う水は一日1000トン。そのうち800トンは循環水を活用していて、下水処理施設の処理水を使えないか行政と検討しているということです。
 現在稼働している紙おむつの再処理は、一日20トン、10万枚ですが、需要を満たすにはまったく数量不足で、再生紙おむつは、まだ本格販売には至っていないそうです。私たちが見せていただいた製品は試作品とのことでした。
 一番の問題は、原料となる使用済み紙おむつの調達にあるのです。法的に一般廃棄物と事業系一般廃棄物に別れ、現在大牟田市では事業系一般廃棄物のみを再資源として認知し、それをラブフォーレストに搬入しているのです。家庭で使用される紙おむつも原料として利用することができれば、大量生産も可能で、実用化にこぎ着けられるということです。そのためには、法的問題をクリアしなければならないと言われました。一方で税金で焼却し、二酸化炭素を発生させる処理に対し、6分の1に
二酸化炭素を押さえられるリサイクル技術があっても、廃棄物法制が時代について行けずに障害となっていることは、確かに非合理なことです。
 会社はこのように制約の多い条例のもとで、この技術を全国に発信し、各地方で紙おむつリサイクルのネットワークを拡大したいと意気込んでいます。
 説明の後、工場を見学しました。発想がユニークでしたが、プラントはそう大きくはなく、良質再生パルプが、全自動で再利用原料となる紙シートに押しのばされてくるのがよくわかりました。
 なんと言っても高齢化社会の進展で、大人の使用する紙おむつの廃棄物が増え、それを市町村が焼却炉で燃やして処分することへの負担が高まることは必至です。そこに着眼したニッチ産業としての紙おむつ再資源化は、先見の明です。産業として定着するための法制面、回収システムの確立がどう進むか注目です。

2.鹿児島市 鹿児島市立病院 
 公立病院の経営危機が叫ばれています。医師不足、看護師不足、赤字経営・・・。3月議会報告でも述べましたが、2007年度決算から連結決算が指標で評価され、表に出にくかった企業会計(公立病院会計もその一つ)などの赤字や借金割合が表面化します。一方、医療費の公的負担割合を下げる政府の構造改革によって、自治体の病院維持の財政力が弱まり、そこへ病院経営に競争原理を求める公立病院改革プログラムが義務化されることが加わっています。人口減少地域で公立病院が姿を消し始めています。鹿児島での夜、千葉県銚子市の市立総合病院の閉鎖で患者が路頭に迷う事態が報道されました。
 こうした厳しい環境の中で優良自治体病院と評価の高い鹿児島市立病院ではどのような取り組みがなされているのか、私たちの視察の主な眼目でした。

 鹿児島市は合併を重ねて現在人口およそ60万人。民間に500床以上の大きな病院が多くありますが、市内に県立病院が無く、市内の公立病院としては拠点的な位置にあります。とりわけ、救命救急センターは県内唯一で、県内の離島からの救急患者の搬入にも応じています。また、最大の特徴は、総合周産期母子医療センターが全国有数の規模で整備され、700グラムから1000グラムの未熟児の集中治療とリスクの高い妊婦の出産に大きな成果あげています。かつては全国で最も高かった乳児死亡率が、今は全国最低水準へと劇的に転換しました。センター内を案内されましたが、生まれたての小さな赤ちゃんが、専用の高度保育器の中で、足をばたつかせていました。二週間もすると、99%の赤ちゃんは無事帰宅できるようになると言うことです。未来のある小さな命を救う医療は、リスクも高く、訴訟禍もあって若い担い手に不足する状況ですが、鹿児島では、一台2000万円の高度保育器を確か200台備え、モチベーションの高い医師と看護師に支えられて、着実な成果を上げているようでした。
 この病院には、こうのとり号と名付けられた新生児救急搬送車が備えられています。他院から異常分娩や急を要する状態の赤ちゃんをこの総合周産期センターに搬送するための車です。こうして、新生児の命を救う専門センターとして独自の存在価値をもつ鹿児島市立病院は、脳卒中センターも併せ、地域の急性期拠点病院として改革を進めてきているとのことでした。

 この鹿児島市立病院のユニークさは、自由闊達な病院事務局と医師哲学を強く感じさせる上津原院長先生が強調される医師、看護師をはじめ医療職員のモチベーションを高めるための人事管理上の工夫にもありました。その一つが、黒字がでた場合は、正規の研修予算とは別枠で、教育研究費、職場環境改善費として現場に還元する制度を設けたり、女性医師、看護師には、職場復帰プログラムを用意して、子育て後の職場復帰を臨む職員には、支援する体制を整えていることです。また、医師不足への対応では、研修医の賃金アップ、アメリカへの留学制度、研修医指導医師を養成し、研修医とのコミュニケーションを円滑にする、宿舎改善といった積極的な対策を講じ、現在60人の研修医を確保できているということでした。
 無駄な経費削減では、医療機器の物流センターを一元化し、重複発注をなくしたり、薬価交渉を強化して納入薬価の抑制に努めていました。

こうした創意工夫に努めてきた鹿児島市立病院ですが、損益計算では、一般会計からの繰り入れをのぞくと100%を割り込んでいるのです。つまり、病院単独の収支は若干ながら赤字の実態にあるということなのです。地域の人命を守る公立病院を維持するために最小限の一般会計からの応援は誤りではないでしょう。経営努力を越えた財政問題は、セイフティネットを守る財政支援のしくみで解消することは当然です。憲法上その責任が国にあることを再度確認しておきたいと思います。

3.環境モデル都市 水俣市
 私にとって初めて足を踏み入れた水俣市は、もちろん日本四大公害の一つである水俣病発生の地です。チッソが、アセドアルデヒド生成過程で発生する有機水銀を垂れ流した結果の許されざる被害でした。現在も完全救済にはほど遠いこの水俣病を風化させてはならないと、1997年に水俣に関わってきた市民団体などが呼びかけて水俣フォーラムが結成され、水俣展が全国巡回を開始しました。まだ議員となる前の2001年11月に、実行委員に加わって市勤労者プラザの体育室を会場に開催した記憶があります。以来私も水俣フォーラムの会員となっています。

 さて、そんなご縁のあるはじめての水俣市は、九州新幹線の近代的な駅舎が郊外にある海に山が迫るひなびた風情のまちでした。台風の接近で雨が激しくなり、湯の児温泉のホテルでは、雨に打たれながら、かすんで見える不知火海を眺めて露天風呂につかりました。

 10月1日午前、水俣市役所で淵上副議長、田畑議会事務局次長から丁重な歓迎を受けました。先日も書きましたが、淵上副議長は大雨の被害が発生していないか、集落を見回ってその足で駆けつけられました。副議長は、市内に計画された産業廃棄物処理場が、市民ぐるみの反対運動によって、撤退を勝ち取ったことを紹介されました。

 早速、福祉環境部環境対策課環境企画室の宮本さん、総務企画部環境モデル都市推進課長の川野さんから順次説明を受けました。
 水俣病公式確認から52年、現在の認定患者は2268人、これまでに1500人以上が既になくなり、新たな訴訟が認定にもれた患者らによって2005年にも起こされています。2004年までに被害住民とその支援者による裁判闘争で、チッソの発生責任、国県の被害拡大の防止を怠った監督責任が確定していますが、患者認定への不満が依然としてあり、水俣病は終わってはいないことを再認識させられます。
 チッソが垂れ流し続けた有機水銀によって、塗炭の苦しみに投げ込まれた住民は、差別と偏見、補償をめぐるねたみ、訴訟や抗議行動による住民相互の対立、加害企業に被害者家族が働いているといった矛盾など、地域が崩壊する状況に置かれました。この水俣市が明るい将来を取り戻すために、まちの再生を託したのが、水俣病を教訓にして環境先進都市として再生することでした。

 国費458億円を投じて水俣湾の有機水銀ヘドロを封じ込め、そこに埋め立て地エコパークを建設した水俣市は、政府が今年の洞爺湖サミットへのありばいのように持ち出した環境モデル都市認定より16年も前、1992年に環境モデル都市宣言を採択し、地道な環境施策を積み上げてきたのです。それは水俣市の地域もやい直しの歴史です。
 自ら偏見を持つ市民が水俣病を正しく理解するための市民講座、被害地域視察ツアーを企画する。犠牲者の慰霊式を行い、水銀に関する国際会議を誘致する、また、地域にある資源マップをつくるなど、環境問題としての水俣病を理解すると共に、明日につながる水俣市の地域資源を見直すという市民啓発が取り組まれたわけです。
 1993年に20品目でスタートした水俣市のごみ分別は現在は22品目。リサイクル推進委員、月当番として地域住民がステーションに立って、分別回収が円滑に行くよう参加しています。この住民参加は金沢でも一般的ですが、地域でのトラブルはないかを質問しましたが、住民の理解が深まっていて問題はないとのことでした。そうであれば、地域の協働ルールが確立されて素晴らしいことだと思います。全国で進むゴミ収集の有料化は、水俣では、生分解素材の生ゴミ袋のみ有料化しており、それらは(全てかどうかはわかりませんが)鶏糞をまぜて堆肥化されて再利用されているとのことです。
 資源ごみは、回収によって年1500万円ほどの収益になりますが、それは各地域での回収重量に応じてリサイクル還元金として地域に環流されるしくみです。使途は地域に任され、このシステムを地域で支える動機付けに活かされているのです。ううむ、これは納得!
 水俣市は九州では北九州市、大牟田市についで三番目にエコタウンに指定されました。リサイクル関連企業が8社立地し、ガラス廃材のリサイクル製品として道路の舗装剤や花瓶などのガラス製品を生産しています。福祉分野との連携では、授産施設でペットボトルのラベルはがしを委託しています。
 こうしたとりくみを行ってきた水俣市ですが、それでも、近年廃棄物量は増加傾向にあり、トレイ廃止店舗制度、環境にいいまちづくりに貢献する店にエコショップ認定をおこなったり、さらには環境マイスター認証制度を新設、ゴミ減量女性会議を発足させて家庭ゴミの減量対策の検討を諮問したりしています。
 また、市がISO14001を取得したことにはじまって、旅館版ISO、学校版ISO、保育園版ISO、家庭版ISOと、地域で省エネ省資源の暮らしを実践する運動を展開中です。

 こうした市民ぐるみの環境のまちづくりが評価されて、この度7月に環境モデル都市に認定されました。10月中に行動計画素案を立てて政府に提出する予定ですが、持続可能な小規模自治体モデルを目指し、長期的には2050年度に二酸化炭素排出量を50.1%!削減するという目標です。
 その実現を目指して、環境モデル都市推進課を新設し、環境モデル都市推進委員会を20人規模で設置して施策を推し進めていくということでした。ちょうど朝辞令交付式があったばかりの川野課長からお話をお聞きしたわけです。

 市役所での視察を終えた私たちは、田畑さんの案内でエコパークにある市立水俣病資料館を参観し、埋め立て地の海岸沿いにある慰霊碑を視察しました。改めて水俣病の重い歴史と住民の苦難が思い起こされ、利潤最優先の経済活動が取り返しのつかない人間破壊、地域破壊、環境破壊をもたらすことを肝に銘じました。
 ただ、環境政策が住民の啓発や住民の心がけ運動に歪曲されないよう、現代の地球規模のグローバル環境問題を発生させる根本のしくみにくさびを打ち込める施策が自治体でどれだけ可能か、政府に求めるべきより大きな課題は何か、このことを除いてはならないと思います。
 あたらしい夢を求めるようにまちの再生にとりくむ水俣市の決意に学ぶこと多い視察でした。


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